自分が何をやりたいか分からないと考えてしまう人も多いと思いますが、自分も同様に将来何をしたいか全く分かりませんでした
そんな中どういった経緯でゲームを作る仕事をする事になったのかを書き出してみようと思います
こんなんでも良いんだって少しでも気楽な気持ちになってもらえたら幸いです
人生の先が見えてしまった大学時代
元々大学に進学する気はなかったのですが、周りがとりあえず進学した方がいいと進められ特にやりたい事もなかったので大学に進学する事にしました
進学後もなんとなく過ごしていましたが、地方の大学という事もありその後の人生がぼんやりと見えてしまいどうしてもそんなのは嫌だと考えるようになりました
その後1年もしないうちに、つまらない人生は嫌だもっと自由に生きるんだと先の事も考えないで大学を中退してしました
今考えるとよくそんな事ができたなと思いますが、当時はどうしてもこのままじゃダメだと感じていたのを覚えています
フリーター全盛期で危機感のない日々
大学を辞めたが何をしたいのかが分からないまま実家に戻りとりあえずバイトを始めました
しばらくバイトを続けていましたがすぐに辞めたくて仕方なく感じる様になりました(当時はコンプラとかない時代だったので色々と)
辞めたい一心から進学を考える様になり、当時はまだインターネット環境も珍しい時代でしたので、ITやエンタメなどの響きからなんとなく面白そうと安直な理由でIT関連の専門学校に進学をする事に決めたと思います
正直に言いますとまだしばらくは働きたくなという感情もあったと思います
ITって響きだけで選んだ専門学校
響きから選んだ進学でしたが、そこで学んだプログラミング(Besicだったような)が思ったよりも自分に合っていたようで勉強をして次第に簡単なゲームを作成できるまでになりました
地方の学校という事とまだIT技術がそこまで進んでいなかった時代という事もありゲームの作り方は先生でも分からなかったので自分で調べて作っていたのを覚えています
曖昧な記憶ですが最初に作ったゲームは横スクロールの潜水艦を操作するシューティングゲームだった様に思います。やっぱりシューティングはゲームの基本になりますね
その後学校での就職活動も始まり会社説明会にも参加しましたがどうしてももっとクリエイティブな仕事がしたいという気持ちが大きくなり上京して本格的にゲーム開発の勉強をする決断をしました
地方のど田舎が地元の自分としては上京するのはとても勇気のいる決断だった様に感じます
ゲームの勉強を本格的にするために上京
本格的にゲーム開発に学ぶために選んだ学校は「ヒューマンクリエイティブスクール」という学校でヒューマンというファイプロなどを開発したゲーム会社の設立した学校でした
今はヒューマンも学校も残念ながらありませんが選択の決め手は卒業生の作成したゲームのクオリティが高かったからになります
学校では朝から晩まで1日中ゲーム作りに取り組む事ができました
自分と同じ気持ちで学ぶ同士やゲーム作りの楽しさを学べた事は今でも大切な思い出となり自分のゲーム開発の基礎を構築できた期間だったと感じています
提出作品作ってゲーム会社に就職
ゲーム作りに打ち込んだ日々も終わりが近づきゲーム会社への就職に向けて動き出す時が来ました
ゲーム会社への就職は狭き門と言われており早々に別の道を選んだものや無事にゲーム会社への内定が決まったものなど周りの動きが活発になっている中、自分はひたすらに卒業作品作りに打ち込んでいました
自然と焦りはなく学校を選んだ理由でもある「クオリティの高い作品を自分も作りたい」という気持ちが当時の自分にとっては最も大事なことだったと思います
やれる事は全てやり当時の自分の全てを出し切った作品がついに完成した頃には年も明け学生期間が残り3ヶ月を切っていました
その後遅ればせながら、その作品をゲーム会社に提出し評価され無事に内定をいただく事ができました
結果論となりますがゲームなどのクリエイティブな仕事は実力を明確に示せる事が選考の基準となり結果的に作品に打ち込んだ事が良かったんだと感じています
かなり遠回りをしましたがこんな自分でもやりたい仕事が見つかり社会に出ることができました
当時はすぐに逃げてしまう自分が情けなく感じる事もありましたが、今では嫌なことからはいくらでも逃げてもいいと思っています
道はいくらでもあるので違ったらまた別の道を進めばいいし、一度来た道を戻ってもいいですし、そのうちにきっと自分に合った道や景色が見えてくると気楽に考えています
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